Wed - October 20, 2004

土屋賢ニ×森博嗣「人間は考えるFになる」


森エッセイのシリーズに何度か土屋氏の名前が登場するのを覚えていたので、これも早速読んでみました…森氏が好んでいる理由が非常によくわかりますよ(=土屋作品も読んでみよう、と)。

著者二人による対談集。普段あまり対談は読まないんですけど、森博嗣氏の名前でつい脊髄反射(笑)。土屋賢ニ氏を実際に読むのは初めてですが、お茶の水女子大教授兼哲学エッセイスト。N大助教授の森氏とふたりで、超文系(哲学)大学教授と超理系(建築)大学助教授兼作家、という取り合わせでの対談だそうな。

個人的には、文系と理系という分け方にはかねてから疑問を持っているんですけどね。
(森エッセイの中かなぁ?「理系の人に文系能力が欠如しているなんて事は決してなくて、理系能力が不足している事を文系として言い訳にしてるんじゃないか。文系/理系とカテゴライズする時点でその人は文系なんでしょうね」と言うような趣旨の事を書いてあるのを読んだ覚えが。概ねこの考えに賛同。)

で、話の合う友達とか(場合によってはイトコとか)には高い確率で同意が得られるんだけど、高校卒業してからロジカルなものにハマる時期があるよね、と。それは数学だったり、哲学(含む論理学)だったり。そう、コンピュータの動作には欠かせない(=ロジックの権化)論理式/論理学。もともとは哲学から発祥しているのだそうで。
…こういう方向の話を「笑いのネタ」として話せる人とはものすごく仲良くなったりする。

で、本格的に哲学をやった事がある訳じゃない(数冊読んだくらい…東大出版会の「論理学」て本が、内容と地の文のトンチキさのギャップで予想外に面白かった)のでアレですけど、実践している人が思っているほど哲学というのは「いわゆる文系」ではないんじゃないかなぁ、と思っているのです。哲学を展開する人の思想や宗教、政治的背景などいろいろ引っ括めたバックグラウンドによって論旨展開が変わる事がないように、極限まで主観や曖昧なものとは無縁なんじゃないか、と。
(それでも明確な答えが出ない事が多いのは、カオスで語るような内容を極めて単純なレベルまで還元しようとする事に無理があるか、思索すべき事項が多すぎて人間の脳ミソの演算能力が追っ付かないか。後者ならラプラスの魔でなんとかなるなw)

…なんだかわかりにくい事をチマチマと書いてますが、この本を読んだバックボーンとして:
・ロジカルな思考(あえて理系と言っておく)が好き。
・哲学は、せめて「それな〜に?」と言わないで済む位は知っている…哲学史は全然わからないけど。
を持つ、シロート本好きの感想だって事を明記しとかないと、ここの感想で興味持って読んだけど、どこが面白いのかサッパリ??なんて事になりかねない。でもそういう人はここまで読む前にやめちゃってるね。では感想。

こ こ 数 ヶ 月 で 読 ん だ 本 の 中 で 一 番 面 白 か っ た。

オビにある[絶妙「文理」対談]というのがまさにピッタリ。
土屋氏の発言(詭弁を笑いに昇華してる)を、社会通念的な常識に囚われないドライな観点でバッサリ斬り捨てる森氏。別に喧嘩してるとかでなく、一冊通して非常に和やかな会話なのだけど、そこで起きている現象を記号的に還元するとまさにこんな感じ。脳にこびりついた垢が洗い落とされるとでも言いますか。

読み終わったその足で「哲学者かく笑えり」を買いましたとさ。これがまた面白い。電車の中で笑ってしまう。
そう言えば、最近家で読んでる「なおかつ、お厚いのがお好き?」の方も哲学に関する内容が多い。…意図せずマイブーム(死語)になってるのかしらん?
(森博嗣の名前で買ったのと、TVで何度か見たのが面白かった、て買い方なんだけどな)

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