Wed - March 26, 2003

「マイコンBASICマガジン」休刊。


電波新聞社より発表。時代の終焉をまざまざと見せつけられた気分だ 。もしも、この雑誌がなかったら。

namcoファンになる事もなかっただろうし、
いまの仕事してるって事は絶対になかっただろうし、
プログラムのイロハを覚えるのにも多大な影響を受けているし、
インタビュ受けてちょろっとだけ載ったり、
中学(パソコンなんて全然市民権なかった!)の頃に数学の先生のところに通ってFM-8のプログラム打ち込んだり、
中学のクラブ活動で1台しかないPC-6001で10分以上かけてロードして「ミステリハウス」プレイするも毎回活動時間内に最後まで行けなかったり、
店頭に飾ってあるぴゅう太にその場で考えながら単純なゲーム入力するも日本語BASICの書式忘れちゃってて何時間も無駄にしたり、
MMLの同期ズレを回避するデータ構造を研究する事でリズムの初見力を鍛えたり、
友達が苦労してお店のPC-6001に入力してたプログラム間違えて消しちゃったり、
高校の文化祭でPC-8801mkIIFRに自作のデモ突っ込んで展示したり、
友達のX1でワイワイ言いながらゲーム作ったり、
吹奏楽コンクールの課題曲をMMLで打ち込んで読譜力つけたり、
採用された事はなかったけどPB-100用プログラム投稿したり、
見た事もなかった海外のゲームが紹介されてるのを見てワクワクしたり(Appleブランドに対する憧れの芽生えだ)、
初めて一人で上京した時には真っ先にベーマガに広告が載ってた秋葉原(当時は今と違って純粋に電気街だった)のお店に入って圧倒されたり、

...て事もなかった訳ですよ。

悲しいったらありゃしない。

当時のPC事情てのは、今みたいにOSがあって環境があってアプリがあって...なんて全てが用意されたものではなく、ただ「ぽーん」と各機種で方言バラバラのプログラム言語がひとつ(かそれ以上)あるだけで、音楽鳴らすためには音符データを入力すればいいんじゃなくて、データ管理の仕組みから作ってやらなきゃいけない。
描画のためにはグラフィックレイヤーとテキストレイヤー、スクロール領域を工夫したり。
容量もすくないから、同じ処理をするためにいかに少ないコードで実現するか頭をひねったり。
マシン語レベルをたたいてる訳じゃないから、入力をいかに自然にフィードバックするか考えたり。
でもそれが、スペックは確かに今のものに比べたら貧弱貧弱ゥゥゥ!だけど無減の可能性を持つ電脳空間で。
市販ソフトはもちろん当時からあったけど、ガキの頃の小遣いで買えるわけもなく。
それこそ記事をすみからすみまで何度も読み返して、しゃぶりつくして。

この雑誌がなかったら、オイラの中学高校時代は絶対に違うものになってたし、人生を左右した雑誌であるのも間違いないのれす。スラドのスレでも同じ書き込みがいっぱい載ってます。

公式発表にある通り、今のIT業界(嫌いな言葉だが、影響力の大きさを計るために敢えて使ってやる)の発展の基礎には、今業界を支える人材には、この雑誌が与えた影響は計り知れないはず。21年間のうち、僕が読んでたのは10年足らずだとは思うけれど、それでもこの雑誌でコンピュータの楽しさを知り、そして巣立っていきました。

本当にありがとう、お疲れ様でした。僕はきっと忘れない。絶対に忘れない

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