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Tue - October 18, 2005
梅沢由香里五段の囲碁講座
に参加して来ました。奥様のお友達が参加している日本おにぎり隊の文化講座の一環としてのお誘いに乗った形なんですが、実は渡りに舟というタイミングだったので、出不精のオイラも二つ返事で参加表明、そして当日。
囲碁と言うと、やはり難しいイメージがあったのです。手を出せていなかっただけなのだけれど。
将棋は子供の頃にブームがあったからその時に覚えたし、麻雀はそれなりに触れる機会(高校の時にやったとか、ぎゅわんぶらぁ自己中心派を始め、麻雀マンガは今でも非常に多いし、ゲームも非常に種類が多い)もあって、まぁヘボと言いつつも「何が何だか?」的暗中模索状態にはならないのです。
…が、何でもそうであるように、触れてないとさっぱり分からない。何度か手を出そうとしては取っ掛かりがなくて挫折、つい最近のブームの時には全く乗れなかった、という状況(比較的アクティブにやる気があった頃には手軽に学べる手だてがなく、Google先生が登場した時にはすでに仕事に追われっぱなし)。
でも今回のお話を聞いてから再度奮起、Google先生で調べたり、入門ソフト(奥様も興味を持ちそうなのを選んだ)を買って来たり、iメニュー登録したり、とそれなりの予習をして行きましたよ。だってものすごいチャンスですもの。…結局CPU相手には9路盤でもまだ一勝もできてませんが!!
梅沢由香里さんと言えば、やはり(このサイトに来る方に一番通じやすいのは)「ヒカルの碁」の監修と、アニメ版の解説コーナーでしょうか。ほかにもNHK教育の囲碁番組のレギュラーとか、多くの著書とか…現在の囲碁の活況を生んだ、最大の立役者と言えます(この文を書いてる人間がまだまだ超初心者なので、借りて来たような文の紹介で申し訳ない)。
講座を開けば席は瞬殺、というほどの人気があるとも聞いてます。
ちなみに当日の毎日新聞に[10月18日は「冷凍食品の日」です]というインタビューが載っていたのは偶然だそうで。
さて、講座開始。初心者の割合が多い聴衆でも非常に面白く、ぐいぐいと引き込まれて行きました。
中でも興味深かったのは
・囲碁の発祥は古代インドと中国の二説があって、中国説の方が主流。
・発生の時点では暦/占星術的な意味合いを持っていた?
・古代中国では、貴族の嗜みとして「琴・棋・書・画(音楽、囲碁、書、絵画)」が必須だった。
・麻酔がなかった時代に手術を行う際、他の事に意識を向けて痛みを薄れさせるために碁を打っていた(笑)。
「関羽の手術中に碁を打つ図」が残っているそうです。
(関羽が華陀の手術を受けた(事になってる)のは、樊城の戦いの模様。)
・本因坊戦の本因坊の由来(本因坊秀策は「ヒカルの碁」にも出てた)
そして基本的なルール(日本ルールと中国ルール、台湾ルールの違いなども盛り込みつつ)と練習問題を数問。独学してる時の解釈と(取るべき行動は同じなんだけど)全然別方向からの解釈の仕方を教えてもらって、目から鱗を落としながらも大納得。そっかー、だから今イチ釈然としない点があったのか、と。お友達が「小学生にも覚えられるように教えてる人だから、絶対大丈夫」と言っていたのは伊達じゃない!
…でも取り方の説明、特に禁じ手と例外の箇所では「NHKだと3週くらい掛けて説明する所ですよ〜」とも言ってました。確かにかなりケースバイケースで、先読みを必要とする。
練習問題ではものすごい悩んだり直接アドバイスを受けたりしながら、知恵熱出した所で一旦休憩。
休憩後に実際に6路で(簡易ルールで)対局。CPUと対戦するのと練習問題解くのと実際に対局するのと、全然感覚が違う。そして、他の人が対局しているのを横から見るのも、また視点が全然違う。少しだけとは言え予習して行って本気で勝ちに行ってたオイラと、正真正銘初心者の奥様の対局で火花を散らす…「たくさん取られた方が学ぶ事も多いから、どんどん取られて下さいね〜」と言われているにも関わらず、二人ともガチで勝とうとしているので長考の嵐。
梅沢さんが来て「良い進み方してますね〜」と言われたのに、もう一周して来た時には双方まだ一手しか進んでなくて苦笑される始末。負けん気の強い夫婦でゴメンナサイ。
なんとか一局、奇麗な形で投了して、黒白交代して二局目が少し進んだ所でタイムアップ。帰りに一緒の記念写真を撮っていただいてありがとうございます。
家に帰って続きをするべく、棋譜も写真に撮っておきました。白がオイラ。
しっかし奥が深い。深すぎる。レベルが低い今でもその深さの一端が垣間見えて来るのです。打ち筋に性格がハッキリ表れるし(iアプリで自分が打った局面を見返すと、恥ずかしい位に判る)。古くからの棋譜は結構な数が現存していて、武田信玄が打った棋譜が残ってるとか、初代本因坊(徳川家康:1542〜1616と同時代)の棋譜が今でも研究されてる、という点にロマンを感じる、とおっしゃってました。…その残ってる棋譜からは、やはり性格や考え方はクッキリと残ってるんだろうねぇ。
その本因坊、西洋音楽だとパレストリーナとほぼ同時代。現代まで連なる音楽史的には黎明期と言っても良い時代に基礎が体系化されて、今でも研究されるっつーのは似てるなぁ、とちょっと思った。職業病かね(笑)。
…で、打ち方で痛切に感じた事。コンピュータのシミュレーションゲームみたいに「育てたキャラで突っ込ませて敵を倒してく=碁で言えば石を取る、陣地を広げる」なんて言う、オイラの(スパロボでもFFTでも似たような)プレイスタイルだと、アっと言う間に逆転されたり二進も三進も行かなくなったりする。アグレッシブに攻める局面、守る局面、それらが渾然一体となった場合の妥協策や駆け引き、相手が見落としてる箇所から切り崩して行く快感、見落としてた箇所からあれよあれよと崩されて行く絶望感(最後の二つはヘボ碁の証拠だけど)…この同時進行してく局面を、バランスを取りながら進めて行くというのは、生産も成長もない、よりストイックな戦略シミュレーションと考えた方がまだ近い感じ。
(始める前こそ難しそうに見えて実は比較的)シンプルなルールなのに、これだけ高度な戦略の幅が生まれる…と言うのは、やはりゲームとしての完成度の高さなんでしょう。恐ろしささえ感じる。碁盤が宇宙に見立てられるのも大納得。
これほど面白い頭脳戦略ゲームを始めるキッカケを与えてくれて、判りやすく教えてくれた梅沢さんと、奥様のお友達には本当に感謝です(奥様に感謝するのは、もう少し相手してくれたらにしておくwwww)。
落語に「笠碁」「碁泥」て噺があるんですが、「碁がたきは憎さも憎し懐かしし」て川柳の気持ちや、先に挙げた噺の人物の行動理念、小学生の時に知った噺の面白さの本質がようやく理解できた感じ。ヘボ碁でも思考自体が楽しいので、末永く楽しんで行きたいと思います。とりあえず中盤よりも序盤をどう組み立てて行くか、の方が難しく感じる。…個人的にはこれもなんとなく作曲と似てる気がする。
ゲーム関係者的な事を書いとくと、囲碁を初めたばかりの、今いちルールを把握しきれてなかった頃に考えてたのが「囲む要素」から「リブルラブル」を、石の置き方や取り方のパターンから「ライフゲーム」…と言うか「セル・オートマトン」が思考パターンの参考になるかなー?と思ってたんですが、こんな腕では今の所それはない(汗)。
将棋は子供の頃にブームがあったからその時に覚えたし、麻雀はそれなりに触れる機会(高校の時にやったとか、ぎゅわんぶらぁ自己中心派を始め、麻雀マンガは今でも非常に多いし、ゲームも非常に種類が多い)もあって、まぁヘボと言いつつも「何が何だか?」的暗中模索状態にはならないのです。
…が、何でもそうであるように、触れてないとさっぱり分からない。何度か手を出そうとしては取っ掛かりがなくて挫折、つい最近のブームの時には全く乗れなかった、という状況(比較的アクティブにやる気があった頃には手軽に学べる手だてがなく、Google先生が登場した時にはすでに仕事に追われっぱなし)。
でも今回のお話を聞いてから再度奮起、Google先生で調べたり、入門ソフト(奥様も興味を持ちそうなのを選んだ)を買って来たり、iメニュー登録したり、とそれなりの予習をして行きましたよ。だってものすごいチャンスですもの。…結局CPU相手には9路盤でもまだ一勝もできてませんが!!
梅沢由香里さんと言えば、やはり(このサイトに来る方に一番通じやすいのは)「ヒカルの碁」の監修と、アニメ版の解説コーナーでしょうか。ほかにもNHK教育の囲碁番組のレギュラーとか、多くの著書とか…現在の囲碁の活況を生んだ、最大の立役者と言えます(この文を書いてる人間がまだまだ超初心者なので、借りて来たような文の紹介で申し訳ない)。
講座を開けば席は瞬殺、というほどの人気があるとも聞いてます。
ちなみに当日の毎日新聞に[10月18日は「冷凍食品の日」です]というインタビューが載っていたのは偶然だそうで。
さて、講座開始。初心者の割合が多い聴衆でも非常に面白く、ぐいぐいと引き込まれて行きました。
中でも興味深かったのは
・囲碁の発祥は古代インドと中国の二説があって、中国説の方が主流。
・発生の時点では暦/占星術的な意味合いを持っていた?
・古代中国では、貴族の嗜みとして「琴・棋・書・画(音楽、囲碁、書、絵画)」が必須だった。
・麻酔がなかった時代に手術を行う際、他の事に意識を向けて痛みを薄れさせるために碁を打っていた(笑)。
「関羽の手術中に碁を打つ図」が残っているそうです。
(関羽が華陀の手術を受けた(事になってる)のは、樊城の戦いの模様。)
・本因坊戦の本因坊の由来(本因坊秀策は「ヒカルの碁」にも出てた)
そして基本的なルール(日本ルールと中国ルール、台湾ルールの違いなども盛り込みつつ)と練習問題を数問。独学してる時の解釈と(取るべき行動は同じなんだけど)全然別方向からの解釈の仕方を教えてもらって、目から鱗を落としながらも大納得。そっかー、だから今イチ釈然としない点があったのか、と。お友達が「小学生にも覚えられるように教えてる人だから、絶対大丈夫」と言っていたのは伊達じゃない!
…でも取り方の説明、特に禁じ手と例外の箇所では「NHKだと3週くらい掛けて説明する所ですよ〜」とも言ってました。確かにかなりケースバイケースで、先読みを必要とする。
練習問題ではものすごい悩んだり直接アドバイスを受けたりしながら、知恵熱出した所で一旦休憩。
休憩後に実際に6路で(簡易ルールで)対局。CPUと対戦するのと練習問題解くのと実際に対局するのと、全然感覚が違う。そして、他の人が対局しているのを横から見るのも、また視点が全然違う。少しだけとは言え予習して行って本気で勝ちに行ってたオイラと、正真正銘初心者の奥様の対局で火花を散らす…「たくさん取られた方が学ぶ事も多いから、どんどん取られて下さいね〜」と言われているにも関わらず、二人ともガチで勝とうとしているので長考の嵐。
梅沢さんが来て「良い進み方してますね〜」と言われたのに、もう一周して来た時には双方まだ一手しか進んでなくて苦笑される始末。負けん気の強い夫婦でゴメンナサイ。
なんとか一局、奇麗な形で投了して、黒白交代して二局目が少し進んだ所でタイムアップ。帰りに一緒の記念写真を撮っていただいてありがとうございます。
家に帰って続きをするべく、棋譜も写真に撮っておきました。白がオイラ。
しっかし奥が深い。深すぎる。レベルが低い今でもその深さの一端が垣間見えて来るのです。打ち筋に性格がハッキリ表れるし(iアプリで自分が打った局面を見返すと、恥ずかしい位に判る)。古くからの棋譜は結構な数が現存していて、武田信玄が打った棋譜が残ってるとか、初代本因坊(徳川家康:1542〜1616と同時代)の棋譜が今でも研究されてる、という点にロマンを感じる、とおっしゃってました。…その残ってる棋譜からは、やはり性格や考え方はクッキリと残ってるんだろうねぇ。
その本因坊、西洋音楽だとパレストリーナとほぼ同時代。現代まで連なる音楽史的には黎明期と言っても良い時代に基礎が体系化されて、今でも研究されるっつーのは似てるなぁ、とちょっと思った。職業病かね(笑)。
…で、打ち方で痛切に感じた事。コンピュータのシミュレーションゲームみたいに「育てたキャラで突っ込ませて敵を倒してく=碁で言えば石を取る、陣地を広げる」なんて言う、オイラの(スパロボでもFFTでも似たような)プレイスタイルだと、アっと言う間に逆転されたり二進も三進も行かなくなったりする。アグレッシブに攻める局面、守る局面、それらが渾然一体となった場合の妥協策や駆け引き、相手が見落としてる箇所から切り崩して行く快感、見落としてた箇所からあれよあれよと崩されて行く絶望感(最後の二つはヘボ碁の証拠だけど)…この同時進行してく局面を、バランスを取りながら進めて行くというのは、生産も成長もない、よりストイックな戦略シミュレーションと考えた方がまだ近い感じ。
(始める前こそ難しそうに見えて実は比較的)シンプルなルールなのに、これだけ高度な戦略の幅が生まれる…と言うのは、やはりゲームとしての完成度の高さなんでしょう。恐ろしささえ感じる。碁盤が宇宙に見立てられるのも大納得。
これほど面白い頭脳戦略ゲームを始めるキッカケを与えてくれて、判りやすく教えてくれた梅沢さんと、奥様のお友達には本当に感謝です(奥様に感謝するのは、もう少し相手してくれたらにしておくwwww)。
落語に「笠碁」「碁泥」て噺があるんですが、「碁がたきは憎さも憎し懐かしし」て川柳の気持ちや、先に挙げた噺の人物の行動理念、小学生の時に知った噺の面白さの本質がようやく理解できた感じ。ヘボ碁でも思考自体が楽しいので、末永く楽しんで行きたいと思います。とりあえず中盤よりも序盤をどう組み立てて行くか、の方が難しく感じる。…個人的にはこれもなんとなく作曲と似てる気がする。
ゲーム関係者的な事を書いとくと、囲碁を初めたばかりの、今いちルールを把握しきれてなかった頃に考えてたのが「囲む要素」から「リブルラブル」を、石の置き方や取り方のパターンから「ライフゲーム」…と言うか「セル・オートマトン」が思考パターンの参考になるかなー?と思ってたんですが、こんな腕では今の所それはない(汗)。